ルックバック (ジャンプコミックスDIGITAL)

▶ Amazonで見る

評価:★★★★ (4.8 / 5)

📢 Amazonでの購入者の声を紹介します


【1】

心に深く響く感動作。繊細なストーリーと美しい描写が印象的で、創作への情熱や成長、喪失の痛みが丁寧に描かれています。読後に余韻が残る、藤本タツキならではの名作です。


【2】

以前読んだ事有りましたが映画をみて再読。葛藤や喜びが入り混じる作品。映像だとより感じるものがある為是非映画版も観てほしいです。


【3】

こちらの原作マンガ1巻完結を読み衝撃を受け、映画も観ました。マンガも映画もどちらもおススメです。両方で理解が深まる気がします。一次創作の難しさ、考えさせられる作品でした。


【4】

Amazonプライムで映画を見てから、内容がわかっているのに購入してしまいました。しかも何回も読んでしまった。時空間をまたがった不思議な展開が、感情を刺激して、目の奥がツーンとします。おすすめです。


【5】

普段から漫画とかは一切読まないし一冊も持っていないのですが、アマゾンプライムでこの作品を見てあまりに衝撃をうけ原作の本も見たいと思い買いました。


【6】

映画版も併せてご鑑賞くださいこのような作品を生み出せる世界に生きてるって、なかなか捨てたもんじゃない、そんなことをおもいました


【7】

読み終えて、アニメ作品観賞後ほどの感動はなかった。藤野や京本の自宅、部屋、故郷の田園、雪景色がリアルで素晴らしい。一方で、人物の表情はやや変化に乏しい。作者のホラー作品を読んでみたいと感じる画力、筆致。緻密な描きこみであるがゆえに、老いた眼には新書サイズは読みづらい。価格上がってもB5サイズくらいで読んでみたかった。


【8】

ジャンプ+で途中まで読み切りになっていて、続きが気になったので買いました。今までになかった、小説のような漫画で、時折思い出しては読み返してます。君の膵臓を食べたい、に似た衝撃を受けました。映画化もされたんですね。映画も見てみたいと思います


【9】

「じゃあ藤野ちゃんはなんで描いてるの?」吹き出しだけのコマに描かれたこの台詞こそ本作を貫くテーマであり、尽きることのない問いであります。なぜ書くのか、なぜ描くのか、なぜ作るのか、なぜ、あなたは、それを、生み出したいのか。小学四年生の藤野にとってその問いは単純でした。チャチャっと描いた(体を装った)四コマ漫画でもって皆から褒めそやされたいのです。漫画はまあどうでもいい、それがもたらす優越感というリターンが欲しい。子供ですから。やがて京本という新星の画才に筆を折られた彼女は卒業証書を届けに彼女の家を訪れます。初めての出会いを経た後で藤野が雨にも構わず帰ってゆく場面は、間違いなく本作のハイライトの一つであります。このとき彼女が抱いた感情の昂りを理解することが、いずれ来る漫画家藤野キョウの辿り着いた姿を理解することに繋がります。彼女からすれば京本は絵の天才です、敵いません。その天才から「先生」と呼ばれ、あげく「あなたは天才です」と言われるのです。小学生藤野の優越感はここに来て爆発します。「キモい」とまで言われた努力も全て報われます。思わず小躍りしてしまいたくなるほどに。ですがそれと同じく悔しさも爆発します。「ステップアップの為…」と口から出まかせを言って取り繕わなければならないほど彼女は京本に完敗しているのです。山ほど積まれたスケッチブックを見てももはや何の感情も湧かないほどの完敗です。この上もない優越感と同時にこの下もないだろう敗北感、その両方を彼女は京本から与えられました。極端な振り幅を持つ二つの感情と絵の天才京本、と藤野自身。全てが満ち溢れるほどあるこの関係の中で、彼女の部分だけ空虚です。なぜならもう漫画なんて描いていないから、それだと天才の名に値しないから、悟られまいとした完敗が確定してしまうから。それなのに空にまで届きそうな誇らしさだけはある。ゆえに彼女は家路を急ぎます。濡れた服もそのままに原稿にペンを走らせます。もう何にも構っていられません。なぜ描くのか。一刻も早く全ての帳尻を合わせ、誇らしさと悔しさの天秤が釣り合った自分にならなければ我慢ができないのです。それに「またね」と手を振ってくれた新しい友達、かつ熱烈なファンが作品を楽しみに待っているのですから。他人に優越して気持ちよくなりたいだけの幼い自分から脱却して、真の漫画家になろうとする藤野キョウの最初の姿がそこにあります。ちなみにですが、舞台とされる東北では桜は4月に咲きます。3月の卒業式シーズンはまだまだ肌寒く、ましてや曇天から雨が降り始めるようなときは尚更です。つまり藤野が雨に濡れながら畦道を走り抜け、濡れたまま机にかじりつくこの場面は、一般に考えられるよりももっと寒く冷たく、だからこそもっともっと熱いものを迸らせたものであることを補足しておこうと思います。こうして最高の友達・相棒・ファンを得た藤野は着々と成功を重ねてゆきます。袂を分つまで彼女たちが見せる若さに満ちた輝きは、まるで東北の短い夏が過ぎ去るのを慈しむようで美しいです。物語の最後、二人は再会します。敢えて再会と呼びます。顔を合わせ言葉を交わすのではありません。四コマ漫画だけが次元と風の間を行き交って二人を結びつける再会、一方がいなくなった世界で残された側が自らの内に彼の人の真の存在を見出す再会です。京本が藤野に放った問いの答えがここで完成します。もう誰もいなくなった部屋に入った藤野は京本が最後まで彼女の圧倒的なファンであったことを思い知らされます。そしてあの問いとその答えを記憶の中に見つけます。それは、天才的に絵の上手い、最高に頼りになる相棒の、最高の友達の笑顔が見れるから。幼い優越感はだいぶ影を潜め、悔しさに苛立つこともありません。特別な人の笑顔に充実感を感じられる満たされた自分がいます。でも京本はもういません。唇を噛んで奮い立った感情も、それを与えてくれた京本という特別な存在もなくなった今、彼女は一人取り残されてしまいます。しかしここで漫画家藤野キョウは追憶から静かに身を引きます。思い出と自作の漫画と一編の四コマを支えに、再び執筆の日常に戻ってゆくのです。私たちはここで真の作り手の姿を見ることになります。その人は問いの答えを見つけただけでなく、それを失ってもなお先へ進もうとする人であります。例え自分一人だけになっても。エネルギーの奔流から生まれた漫画家藤野キョウは、薄闇の静謐の中、自らの意志で自分自身の在り方を選び取ったのでした。このことは水溜まりを弾き蹴散らす誕生と、ただ静かに畦道(アニメでは雪道)を踏み締める再生という対比の描写でなされています。作り手は試されます。問いの答えを求められるだけでなく、その先へ向かえるかまで。優越と渇望の気持ちがなくなっても、笑顔を向けてくれる大事な人がいなくなっても、あなたは、それを、生み出したいのか。それは主人公と作者と読者にまで向けられた問いです。例外はありません。何かの作り手でなかろうと、人は自分で作った人生の上に生きているのですから。この作品の余韻は名残惜しい感動だけなのではなく、あの問いかけからは誰も逃れられないという緊張感と、知らず答えを求めて動き出そうとする自らの内の微かな熱によって完成するのです。雨の中で遮二無二なスキップを踏んだ誰かのようにまではなれなくとも、何にも構うことなくどこかへ向かって自分だけの一歩を誰もが踏み出したい、本作品はそんな小さな真実を優しく照らしてくれる傑作であります。


【10】

久しぶりに何度も読み返す漫画


▶ Amazonで見る

※この記事は 2025年6月26日 時点の情報です

おすすめの記事