チェンソーマン 13 (ジャンプコミックスDIGITAL)

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評価:★★★★ (4.7 / 5)

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【1】

『チェンソーマン 13』を読んで、そのストーリーの深さとキャラクター間の複雑な人間関係に圧倒されました。このレビューでは、私が実際にこの巻を読んで体験した感動とともに、少し気になった点も正直に述べたいと思います。この巻の中心となるのは、デンジとアサ、そしてユウコの三角関係と、それに絡む悪魔たちの暗躍です。デンジがチェンソーマンであることを隠しながらも、その事実を受け入れたいというジレンマに苦しむ様子は、非常にリアルに描かれています。彼の内面の葛藤が、読者に強い共感を誘います。特に印象的だったのは、アサとユウコの関係に秘められた“秘密”が明らかになるシーンです。互いに心を開きかけた矢先の展開は、友情と裏切りの狭間で揺れ動く少女たちの心情を巧みに表現しています。この部分での緊張感とサスペンスは、シリーズの中でも際立っており、ページをめくる手が止まりませんでした。ただ、この巻におけるアクションシーンの展開速度が速く、少し追いつくのが大変だった点もあります。情報量が多く、一読ではすべてを理解するのが難しい場面もあるため、何度か読み返す必要があるかもしれません。しかし、それほどに内容が濃厚で、各キャラクターの背景に深い意味が込められているため、再読する価値は十分にあります。この漫画は、心理的な葛藤やダークなストーリーを好む読者に特におすすめです。デンジのキャラクターに感情移入しやすい方や、複雑な人間関係とサスペンスフルな展開を楽しみたい方には、間違いなく魅力的な一冊と言えるでしょう。結論として、『チェンソーマン 13』は、感情の機微を巧みに描きながら、スリリングなストーリーを展開する作品です。キャラクターそれぞれの深いバックストーリーと、予測不能な展開が、読者を引きつける要素になっています。一度手に取ったら、最後まで目が離せない、そんな一冊です。


【2】

上映を待ちます。


【3】

なぜ、このような世界になったのかとか、わからないまま。読んでいる状況。今後に期待して。


【4】

スピード感がよい。もう少しゆっくりでも良いが、、、


【5】

内容は問題なく良いと思います。公安編の時の誰が誰になったのかまだ分からなく、先が気になります。あと、Amazonさんへ、コミックスがシュリンク無し、ビニール袋等での防水措置も無しに紙の封筒ネコポスみたいなのに入ってるのはどうかな?と思います。商品が紙なのですから、防水措置だけはして欲しいと思いました。今度は可能でしたら宜しくお願い致します。


【6】

何話目だったか主人公と合体する悪魔の名前が「寄(ヨル)」だったときに、逃れられぬカルマを感じて、高2のとき以来の10年以上ぶりに『寄生獣』を読み返したのはまだ暑かったお盆の頃だったはず…と、だいぶ昔のことのように思う。歳を取るのはおそろしい。まあそれはそれとして、「イヌ」と「イス」とか、「オシッコ」と「汗(スウェット)」とかのいつものクソラップの冴えも然ることながら、第二部のテーマ性というのもこの2巻にしてほぼ明確になっていることは「ネタバレ」がアレだったら「あっち行って目閉じて耳押さえてて!」。前巻のときにも言ったけど、元ネタになってる『庭には〜』から「同じ立場にならなければわからない」ということを引用しつつ、10年以上の時を経て、改に「他人の靴を履く」ということをセリフでなく描写で表現できるようになっていることだけでも最高だ。更にそれをアサとユウコがお互いの靴を履く「Reciprocal」として描くあたりのセンスは本当に抜群で、つまり第二部ではここで「chain saw」から「reciprocating saw」へと持ち替えているということだ。(だから脊髄剣とか強強剣とか、武器がブレード状をしてることが多くて、脆くて交換可能であり、その機能も解体として描かれているのはそれ故だと思う。)加えて、敢えて外国人兄貴たちに混乱を招くような言い方をすれば、第一部のテーマは「Love Revolution(愛の回転)」なら、第二部のテーマは「Friendship Reciprocation(友情の往復)」へと移り、だからこそアサとユウコはお互いの家を往復し、靴を交換するのだ。そして、第一部の最大の敵「Control(支配)」に「Contrast(対比)」を生んでいるものは、「Freedom(自由)」ではなく、「Communication(話し合い)」であり、第一部の「Reincarnation(輪廻転生)」は、「Retributive justice」「Chicken come home to roost(因果応報)」 へと逆回転する。コミュニケーション、オタクの苦手な営みです。だって「こういう時、何話せばいいかわかんない」んだもん。一緒に夕日を見るか、星を見るか映画を見るかする方が楽しいと思ってるんだもん。だから悪魔化したユウコの姿は「話し合い」という障害を描いた「タコピー」の姿をしているわけで……と、ここまで前提条件みたいな話しが続いてしまってつまらないと思うんだけど、他にも『シン・ウルトラマン』とか『ドライブ・マイ・カー』とかも見ておかないと、『チェンソーマン』というか「藤本タツキ」って面白い男だなと感じにくいんじゃないかと思う。と言うのも、こういう映画や漫画という作品がオタクにとっての「コミュニケーションツール」という「共通言語」になるわけで、『タコピーの原罪』のラストにおける「PS4」や「ボールペン」というのは、むしろ友達を作る「ハッピー道具」としての機能であって、それではおはなしが生まれない。自分のことを話さないから「しずかちゃん」なわけだけど、タコピーもまりなちゃんも話しを聞こうとしない以上そこにコミュニケーションが発生しようもないわけだが、ハッピー道具というツールの介在だけでなく、クソクソラップも含めてお互いが理解できる共通言語を持たないこともまた、ディスコミュニケーションを発生させてフツーに聞いてもらえないという道理だ。「人の音(サウンド)を聞け」というのがドライブ・マイ・カーの物語なのだが、ウルトラマンもチェーホフも家福も、「何もわからないのが人間だ」「人様のことはわかりません」「自分の心と折り合うしかない」とわかっているからこそ本を読み辞書を引き、テキストを読み込み演じることで人の話を聞こうとする。「テキストが君に問いかけている。それを聞き取って応えれば、君にもそれは起こる」。相棒を信じて、鍵を託して身を委ねる。その時「ドアが開く」と藤本くんも思っている。僕がチェンソーマン13巻で一番好きなシーンもここだ。浅見も丸ノコみたいなの持ってきてドアを蹴破ってやって来る。それが「友情」だと、そう信じてここにいる。友情関係というのはお互いが対等でなければ結ばれない。「私に委ねるのがベストな選択」とか言ってくるヤツは現実にもたくさんいるけど、そいつは支配者であり詐欺師だということはよくわかっているはずだ。相手を信じて身を委ねる。家福も渡利も自分のことを話すから相手も自身のことを話してくれる返報性(reciprocity)が働く。そもそもコミュニケーションとは他人の考えや価値観の交換のことであり、藤本くんや僕たち「ゆとり世代」、あるいはこれらの日本映画におけるコミュニケーションとは、お互いに折り合い、譲り合い、歩み寄ることにある。他人と他人が、「歩み(寄ル)」から「寄生獣」。応報の「Retribution」ではなく、相互からの歩み寄り「Reciprocation」による挟撃作戦。それが藤本タツキの、逆向き因果の『TENET(主義)』なのだ、と思う。いいなと思うよ、そういうの。藤本タツキ、見る目あり!


【7】

この作品がすきなので気に入ってます。


【8】

と思ったけど、最初はちゃんと閉じて椅子に座ってましたね。ジャンプ+で読んだ時は気付きませんでした。一見ほのぼのとしたシーンなのですが、アサの動揺と絶望が伝わってきます。この巻も映画の表現技法を漫画に落とし込んでいると思います。また予想を覆す展開がてんこ盛りです。・惚れたら即死のデスゲームじゃん!第二部もう終わっちまうよ!→アレェ!?・ここから力を合わせて!→ええ!・ははん、これから黒幕を探すんだな→向こうから来た!また第一部と比べて女性の描写がより精緻になっていると思います。より小憎らしく、より妖艶に。次回も楽しみにしています。ただ、できれば第104話の最後から2ページ目の大ゴマみたいなやつをもっと。MOTTO!!


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※この記事は 2025年6月28日 時点の情報です

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